79年後の広島で
赤レンガ倉庫とも呼ばれる
軍需工場で軍需倉庫だった旧広島陸軍被服支廠の
曲がった鉄の扉を持つ窓
焼けて脆くなった赤煉瓦の壁
窓の下の赤煉瓦の足元に今茂っているドクダミとヨモギ
このドクダミとヨモギがあの日にあったら
痛みと苦しみと死への恐怖で
心身を強張らせている人たちに
心身を弛緩させている人たちに
二つの薬草が役に立ってくれたことだろう
もしかしたら
瀕死の人たちと
瀕死の人たちに寄り添う人たちに
慰めとして役立ってくれたかもしれない
そんな想像をしながら
繁茂するドクダミとヨモギを見ていた
しかし
もしあの日なら
目の前の曲がった鉄の扉と焼け焦げた赤煉瓦の足元に
二つの薬草が茂ったままでいられるものか!
沢山沢山の人が燃えて焼けて横たわるこのヒロシマに!