2025年3月

某日>今年1月の月記に、『髙木いさお全詩集』は550編ほどの詩集になると思います、と書きました。今までに出版した詩と出版はしていないが全詩リストで公開している詩が約500編。それに出版していないが書き上げてプリントアウトしてある詩約50編あるとして、それらを足して約550編と思ったのです。しかしこの4月に71歳になるので、70歳中までに書いた全部の詩を僕の生前の全詩集とするべきだろうと思ったのです。
 ということで3月の初めから、詩のメモ帳にある詩の断片から詩を書き上げることを始めました。まず大阪市内のホテルに3連泊して、いつものようにその仕事に勢いをつけることからスタートしました。いままでは5連泊だったのですが、経費節減で3連泊になりました。しかしなんとか頑張って42編の詩を書き上げて帰宅しました。
 帰宅してからは日常生活をしながらなので思うように集中できない中で、現在出版のあてのない全詩集ですが、僕の終活の最も重要な項目なので精一杯の努力を続けています。その結果、新しい詩を100編ほど書き上げました。ですから550編の予定が650編から700編ほどの全詩集になりそうです。
某日>大阪なんばの映画館で『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN 』を添人と二人で観ました。ボブ・ディランの若き日のドラマでした。初期の音楽活動のあまりにも短い年月のことなので、ディランについてあまり知らない観客にとっては物足りない作品だろうと思いました。もちろん、たった一日のことでも優れたドラマにすることは可能なので、伝記映画だからもっと長い年月のことをドラマにしてほしかった、という僕の思いは一つの意見でしかないのです。
 しかし20歳頃から30代初め頃までの10年以上はディランに夢中だった僕なので、「時代は変わる」を歌い出したシーンでは思わず泣いてしまいました。
 観客が1割ほどしか入っていなかったのですが、ディランという巨星を映画にするにはどんなストーリーが良かったのだろうか、ともっともっと考えて映画を作ってほしかった!
 映画が終わった時、「今日は拍手しないの?」と添人が言いました。彼女とのファーストコンタクトは、たぶん僕が21歳で添人が18歳の時で場所は大阪中之島の中央公会堂でした。映画『バングラデシュのコンサート』が上映されたのですが、その映画に出演したディランが登場するたびに僕は画面に向かって一人で拍手していたのです。僕の少し後ろに座っていた添人は「ディランが好きな人がいるなあ!」と思っていた、と後に付き合うようになってから話してくれました。
 今はもう熱烈なディランファンではなくなっている僕は、画面の消えたスクリーン前を通って静かに退出しました。
某日>肺MAC症の投薬治療を始めました。肺MAC症とは感染症ですが人にはうつらない感染症なのです。2021年11月に呼吸器内科へ伺って、「肺MAC症の疑いがありますが、様子を見ましょう」と言われ、何度か診察を受けていたのですが、この3月に「肺MAC症の治療を始めましょう」と担当医師から言われました。ということで投薬治療を始めたのです。
 薬がきついようで胃腸の具合が良くないのですが、治療だから諦めて薬を飲もうと思っています。
某日>NHK仙台支局の記者さんから、「宮城へ来られるなら取材したい」と電話がありました。詩「石巻市立大川小学校」を書いた後で整備された大川小学校へは元気なうちに行きたいと思っていたので、「秋にでも行けたらご連絡します」とお答えしておきました。

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